サービス業を勘違いする神様たち

雑記

俳優の香川照之が女性への性加害を加えた事件。

これは叩けば埃のように他の事件や信頼失墜につながる行動が出てくることだろう。

私も先日、サービス業であるが故に客が暴力を振るって来た。

しかし自分の行動を暴力とは認めない。

サービス業なんだからそれくらい我慢しなさいよとまで言う。

世間は香川照之の行動を批判しているが、この香川のような行動をとる人間が

一定数、当たり前だと考えている事が嘆かわしい。

 

 

目次

サービス業の人間には何をやってもいい

正直、こう考えている人間は本当に多い。

自分はそうではないと思っているかもしれないが、本当にそうだろうか?

金を払っているんだから客の怒りや不満はもっともだ。

それは理不尽で不誠実な対応を被った時に限る。

しかしその不満を罵詈雑言や暴力で表現するのはもってのほかである。

店員だって店員の前に一人の人間なのだ。

機械ではない。

人間同士の配慮があって然るべきなのだ。

最も、機械であっても乱暴に扱ったり、配慮が無ければ壊れてしまうものだが。

機械であろうと人間であろうと、配慮を忘れてはいけない。

 

サービスを受けるには、その場所のルールやマナーを守らなければならない。

逆を言えば、ルールを守らなければサービスを受けられないのだ。

それを指摘、注意されると激昂する。

ちょっとくらいいいだろと。

このちょっとくらいいいだろうというのは、ルールの中であり得ない。

このちょっとくらいいいだろうを許すと、ルールやマナーが崩壊し、無法地帯となる。

それでは不公平が生じ、公正なサービスが提供できない。

 

サービスというのはオマケではない

ちょっとくらいサービスしろよという人間の多い事、多い事。

店側からの素敵なサプライズを受けたいのであれば、いいお客さんであることが絶対条件だ。

理想のサービスを受けたければ、この人にはいつもお世話になっているから、と思わせるような行動をとりなさい。

店に迷惑をかけるような行為、店に不快な思いをさせる行動、周囲の客に配慮が無い行動。

このような我儘で乱暴な狼藉を働くものに、なぜ感謝というサービスを提供できようか。

 

お客様は神様である

最近はこの言葉にしなくても、風潮は根付いている。

金を払ってやってるのだから、我儘を通せと。

三波春夫やレッツゴー三匹が流行させたこのフレーズ、

実に都合の良い解釈に使われる嘆かわしい言葉となってしまった。

確かにお店側にとっては売上を上げてくれるのだからありがたい。

お金を払って下さる、給料を出してくださる方々なんだから

大切に丁寧にしなさいよというのはもっともな話だ。

しかし、それはルールの範囲内での話である。

横暴を許すための魔法の言葉ではないのだ。

 

神様は沢山いる

以前、私が働いていた割烹料理店にて、客が「お客様は神様だろ!」と暴れた事がある。

その時の大将はこう言った。

「お客様は神様かもしれんが、どの神様を崇拝するかはその国の王様が決めるんだよ。俺はこの店の王様だ!」

これは私の旨を貫いた。

ダラダラと書いてきたが、この言葉にはそれがすべて含まれている。

お客様が神様というのであれば、一体、何の神様なのだろうか。

沢山の神様がいる中で、このような狼藉を働くものは間違いなく

疫病神なのである。

神様が都合の良い願い事を叶えてくれるだけの存在だというのであれば、

やはりその人の言う神という表現は都合が良すぎる。

自身は綺麗で人の願いを叶える万能の神なのではない。

周りを不幸にする行動をとる疫病神や貧乏神、邪神の類なのだ。

 

 

香川照之は今回の騒動で仕事を失いつつある。

世の中の人々は少なからず、仕事をしていると思う。

香川照之を擁護するような社会人は、自身が仕事で同じように横暴を振るわれても

お客様だからと我慢して呑み込めるのだろうか。

まぁ出来やしないだろう。

そんな事ができる人こそ、逆に神様なのではないかと思う。

 

自分がやられたら嫌、という教育は幼少期に行われること。

これを他人にやってしまえる大人は疫病神となり、

お店からも知人からも、最後の砦である家族からも、

忌み嫌われてしまうことだろう。

香川照之も仕事を次々と失い、一気に人生が暗転しつつある。

調子に乗った人間の末路は、実に惨めなものである。

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